介護者の娘はパートで生計をたてており、日中は十分な介護が行われていない。
もしどこかの民家から火が出ると、あっというまに燃えひろがると思われる。
」彼女は、この一家の日常の屠住環境の悪さが、平常は健康阻害や寝たきり化をまねいており、同時にそれが火災時の犠牲につながることを予感していたのである。
それは二年後の地震で現実のものとなった。
つまり、震災で犠牲となった人たちは、一般に日常から健康をむしばむ老朽家屋や過密住宅地に住んでいた。
いわば毎日少しずつ死んでいた。
震災はそれを一挙に増幅して死に至らしめたといえる。
考えてみれば、死は病いの先にある。
日常、健康を守れない住宅と居住環境のもとで、地震時の死を防ぐことは困難ということである。
警告されていた大震災六〇歳の女性や保健婦が予感している災害の危険を、専門家は早くから警告していた。
一九七四年一月、神戸市消防局は、京都大学・堀内三郎教授の協力のもとに、大地震を想定した延焼動態図を作成した。
それによると、大地震で市内各地からいっせいに火災が発生した場合、木造建造物が九〇%以上を占める二七〇区域のうち延焼を免れるのは六九区域で、長田・兵庫区はほぼ全滅するなどと予測されていた。
その内容は地元の『朝日新聞』一九七四年一月二二日一面に大きく報道された。
「道路も消火栓も満足に使えない状況で、市内各署に三、四台しか配置されていない消防車では全く消火活動のできない事態も十分考えられるため、この延焼予測結果は真剣に検討しておく必要がある、と市消防局はみている。
」同じ七四年九月一日大阪市立大学と京都大学(代表者笠間太郎・岸本兆方)は、神戸市から委託を受けて神戸における地震の可能性と被害予想について調査、報告した。
報告書『神戸と地震』(同年二月神戸市発行)には、結論としてこう書かれている。
「活断層群の実在するこの地域で、将来直下型の大地震が発生する可能性はあり、そのときには断層付近でキ裂・変位がおこり、壊滅的な被害を受けることは間違いない。
」この記事も一九七四年六月二六日の神戸新聞一面トップで紹介された。
さらに同七九年「兵庫県震災対策調査報告書-兵庫県下における地震災害の潜在危険度」(兵庫県刊行)で、調査を担当した神戸大学理学部三乗哲夫教授はこう警告している。
「兵庫県の南部、……特に神戸・西宮・尼崎等の諸都市は震度五程度の地震に対してすら大きな被害を生ずるに足る多くの弱点をもっている。
……六甲山系を西南西~東北東方向に並走している多くの活断層……の再活動はそう遠くなく、また規模も大きいことが予想されるので、たいへん無気味である。
……特に、多くの活断層を被うように六甲山麓にまで拡張された神戸市は、仮りにこれらの活断層の再活動による地震以外の他の地震によって震度互の地震動をうけた場合でも、……大きな被害をうけることは必然である。
・‥これ以上地震に対してぜい弱な都市をつくることは許されない。
現在計画中の都市開発計画に対しても、地震防災の面からの再検討が必要である。
」だが神戸市政は「株式会社」の異名をとり、利益追求の都市開発・都市経営に傾斜してきた。
そしてこれらの予測と警告に対する備えを怠っていた(その経過は『神戸窯書-1阪神大震災と神戸市政』労働旬報社、一九九六年に詳しい)。
大震災はその予測に沿って起きた、ということである。
もしこれらの情報が正しく伝えられていれば、市民は自己資金ででも住宅を補強したり、行政に援助を求めたり、企業はビルを安全にしたり、鉄道、港湾、高速道路等の公共施設の強化も図られたであろう。
戻らぬいのちをふくめ、物的損害だけで十数兆円といわれる被害は、市民不在の市政の延長線上にあったといわざるをえない。
狭小過密居住での死傷日常、健康を損なうような住居やまちが地震などで大きな災害にいたるというこのような事例は、ほかにもさまざまのかたちで見られる。
たとえば地震による一次犠牲者の八八%は家屋の倒壊、一〇%は焼死だが、残りの二%は室内での落下物による死亡であった。
兵庫県尼崎市の合志病院にかつぎこまれた外来患者で負傷原因が記録されている三二二人について部屋の広さと負傷の関係を見ると、一六三人は室内のタンスが倒れてきての負傷で、そのほか食器棚が倒れた、二段の和ダンスの上部、本棚、タンスの上の人形ケース、仏壇、テレビ、ファックス等が飛んできたり落ちてきたというケースが多い。
負傷者の多くは六畳に三人、四畳半に二人、二畳に一人といった超過密就寝であった。
寝室が十分にひろければ、あるいはほかにも部屋があって家具・耐久消費財が寝室に置いてなければ、タソスが倒れても被害を免れる可能性は大きかったであろう。
これらの超過密居住ともいうべき住居に住む人たちは、一般にふだんの生活でケガをしたり健康をむしばまれている。
死は劣悪な居住条件の延長線上にあった。
次の事例もそうしたことを示している。
長田区の神戸協同病院に通う患者Aさんはこういう。
「先生、この頃かぜひかなくなった。
咳一つでない。
地震で隣の家が壊れて空き地になって、自分のアパートに日があたるようになった。
今までは日があたらず、湿気も多かった。
えらいもんやねえ、なめくじがおらんようになった。」同病院の上田耕蔵院長はこう解説している。
「高血圧、慢性気管支炎で通院中の彼女(七〇歳)のアパートは狭い路地の一番奥にあった。
築三〇年の木造二階建ての一階に一人で住んでいた。
間取りは2Kで風呂はなく、家賃は二万八千円。
周囲は約五〇センチで隣家と接していた。
震災で南側と東側の家は全壊したが、彼女のアパートは一部損壊ですんだ。
震災後一カ月間、近くの中学校へ避難したのち自宅へ戻ったが、以前より「健康」になっていた。」(『医療から見た阪神大震災・まちづくりの始まり』兵庫部落問題研究所、一九九七年)生活と公園長田区はケミカルシューズの工場が密集し、可燃物が山積していた。
いったん燃えあがった火の手はつぎつぎと燃えひろがり、空高くたちのぼる火炎と黒煙はテレビの視聴者を釘付けにした。
そのとき消防士はホースをかかえたまま「水がでない」と叫んでいた。
なぜ水が出ず、火を消せなかったのか。
第一は、神戸市消防局自身が懸念していたように、消防力が低水準にあった。
防火用水槽、消防職員数、消防設備を合せた消防充足率は四六・七%。
給水タンク車は三・五トン幸二ロ、二トン車四台、二トン用給水タンク四台、一トン用二三台、簡易トイレ四台にすぎなかった。
第二に、神戸市には九百数十カ所の地下防火水槽があったが、水は一滴も入っていなかった。
法律で決められた広域避難広場をもつ地下耐震貯水槽はひとつもなかった。
(横浜市は、すでに六一基が完成し、五一基を計画中である(九六年現在)。
)第三に、このような消防力と防災態勢の弱体に加え、公園の少ないことも大きな原因であった。
神戸市は、市民一人あたりの公園面積は一五平方メートルで、東京都と一二政令指定都市の中ではトップと宣伝していた。
だがそれは、ポートアイランド、六甲アイランド、西神ニュータウンなど新規開発地の大規模公園や六甲山森林植物園を公園に指定したうえでの数字で、本来の公園と呼ぶべき住宅街の公園(街区公園)は公園全体の二二%にすぎず、長田区では一人二六一平方メートルしかなかった。
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